実家に帰省、そして時が止まった
安全地帯。どうもブリーフです。
皆さんは、何か生き急いでいる時は焦りを感じますか?
僕は今そんな状態にいます。
あの時と変わらないまま
僕は今実家にいるのですが、もちろん両親というのはあの小さい頃に見たままで少し見た目に関しては老いがあるのかなって感じです。
中身はほんとにそのまま。とても落ち着くものですね。
雰囲気がどこかしらやっぱり悲しいかな高齢の雰囲気がどことなく感じるのです。
食べるご飯、生活スタイル、話し方、話す内容もあの時のままです。
どこかしら自分にもそれが移ってきて、子供の時のような子供の時のような振る舞いにもなったりもします。
親をいたわうどころか、逆に子供になって、されてしまうんです。
安全地帯
そして実家という場所。そこはもう戦う必要のない場所。
ご飯も家にいれば出てくるし、綺麗な寝床、風呂場、トイレ、綺麗な床があり、快適に過ごすことができてしまいます。
自分で一人暮らしをしているときはやっぱりゴミが溜まってきたな。とか
洗濯はまだ溜まってないからいいや、二日後にしよう。
これ食べるの少し高いな、とか今日は節約と、健康のために夜飯は抜こうなど自由や管理と共にあります。
それが、実家では何も考えなくてもいいわけですね。
いわゆる怠惰になっても大丈夫な状態です。
常に温かい場所が提供される。
それは、まさしく安全地帯です。
その安全地帯にいることは人を穏やかに、丸くさせる。
イメージとしては牙が無い状態です。
その牙は決して今の戦う僕らは無くしてはいけない。
それがないと夢や幻想を夢や幻想として終わらすことになり、社会全体に対して牙を剥くことができなくなるかもしれない。
時が止まった
そして、穏やかなその親と共に実家にいる間は生活するのですけど
もちろん基本一人だったときとは違い、親という自分以外の考え方や思い、スタイル全てを受け止めるわけです。
そうなると「影響」というものが自分の中に響いてきます。
一人でせっせと妄想、思考をして蓄えていた自分の中にあるもの。
それと、その親の影響との周波数の違いを僕は感じました
親はあの頃と変わらず時は止まったまま。
その絵はしっかりとしたモノトーンの絵。
見ていると落ち着きます。
そして僕は長年一人でいることにより、自分の中の世界観が非常に妄想じみていてぼやけた絵を描き続けている。
その違い。
その僕のぼやけた絵は両親に全て見せることはまだできない。
その原因は恥ずかしさや、その絵の構成を書き加えられることを心配しているのかもしれない。
また実家にいる間は前に進んでいる感じがしなくて、時間も進んでいる感じもしない。
毎日が同じ景色、昨日と同じ時間なんじゃないかと思うくらいだ。
これは、自分の小学生、中学生、高校生の時を振り返ってみてもわかる。
あの時は毎日が同じ景色、同じ自分だったんだな、と。
自我がないというか、ただ流されるままに過ごしていた。
それは生きているというより過ごしているという感じ。
それが今実家にいる間、同じものを僕は感じています。
なので、環境を変えて、孤独になり自分で全て考えることでやっと生きることができるのかなと思います。
孤独から自分を見つめ、どんな性格なのか、どんな考えをするのか、どんなことに使命感を感じるのか。
どう死にたいのか。
自分のことを知ることは一番難しいので、孤独でやっと見つめ直すことができますよね。
小さい頃から一人ぼっちだったり、親がいない子供はどこか大人びた考えを持ち成長が早いきがするのもその孤独のせいなのかなと僕は思います。
とまあこんな感じに一人暮らしとの違いに違和感を覚えた。以上ブリーフでした( ˊ̱˂˃ˋ̱ )