ナンパと哲学

ナンパ師を経て、色々考えながら僕はやりたいことを見つけた。

新しいことにチャレンジすることは恐怖なのか、好奇心なのか。

未知の体験の追求。どうもブリーフです。

 

皆さんは新しいことを日々模索していますか?

 

僕は、好奇心は常に持っていたいと思っています。

 

 

 

未知のものには恐怖が纏う

 

人が何か新しいことを始める時や、知ろうとするとき、足を踏み入れるとき、その時には恐怖がある。

恐怖のせいで、未知のものに触れることを戸惑い、挙げ句の果てには諦めてしまったりする。

 

例えば、知らない女性にアプローチする際には、断られてしまってプライドが傷つくことや、嫌われてしまう恐怖がある。

 

未知の環境に切り替える際にも、今の環境を崩して新しい場所や人と接するときに生きていけるのか、と恐怖がある。

 

幽霊然り、異人然り、未開の土地然り、自分のデータにはないもの、経験がないものには恐怖がある。

 

また、その恐怖を予測して悪い方向に無意識にイマジネーションして、そこに踏み込むことをやめる。

これは動物としての能力だ。

 

危険回避能力というものが我々に備わっている。潜在的に。

 

 

 

 

恐怖を好奇心に

 

しかし、未知のものでも触れたいと思える時がある。

それが、好奇心。

 

好奇心があれば、未知のものに対して興味が湧く。

 

好奇心がある時はその未知のものに対しての恐怖はそんなになく、あるのは良い結果を想像している。

 

良いことが起こるだろう。そんな感じだ。

 

ギャンブルなんかもこの良い結果になるだろう、と思って賭ける。

 

大体勝率は悪いはずなのに、賭けてしまう。

 

「きっと楽しいだろう。良い結果になるだろう。」

こう思えると未知のものに触れられる機会が多くなるのではないか。

 

打算的にやるということはなるべく悪い結果にならないようにすること。

 

好奇心で動いた時はそんなの関係なく、きっと良い結果になる、楽しいなどの動機である。恐怖は後回し。

 

子供の時なんてのはみるもの全てが知らない物だらけであり、好奇心でそれらのいろいろなものに触れ合っていく。

そのうちに学習していき、良い悪いを触れずとも考えることができる。

 

なので歳をとるごとに好奇心てのは薄れていくもので。

むしろ未知のものには恐怖の方が大きくなる。

 

未知のものを知った時、あるいは触れた時、そこに恐怖があったのなら今一度自分に問いただしてみたい。

 

これはもしかして好奇心なのではないか。

 

好奇心だけは我慢せずに抑圧せずに発散しなければいけない。

 

一番の好奇心はやっぱり違う自分。色々なまだ知らない自分がいるからそれに会えるようにするために未知のものに触れていこう。

 

 

以上ブリーフでした( ˊ̱˂˃ˋ̱ )