ナンパと哲学

ナンパ師を経て、色々考えながら僕はやりたいことを見つけた。

年末年始に帰省、親に気を遣うということ

Goto実家。どうもブリーフです。

 

皆さんは、年末年始は実家に帰省されますか?

それとも、一人気ままに年を越されますか?

 

変わっていた姿

 

 

僕は、先日実家に帰省しました。

約五年ぶりの帰省となり、また約四年ほどの親の顔ってわけです。

 

やはり、月日は進んでいますね。

特に50を過ぎてくると老いというのは目に見えてわかってくるものです。

顔のたるみだったり、シワだったり。

はたまた、体がどことなく小さくなっていたり、白髪が馴染んでいたりと。

 

そして喋り方にもどことなくおじいちゃん、おばあちゃん独特な話かたに近づいてきたなという印象。

 

前回会った四年前にはさほど40代の時となんら変わりないなという印象でしたけど、50後半になると一気に増すのか、それとも環境によってそうなるのかはわかりません。

 

それを見て僕はどことなく、哀愁だったり切なさを感じてしまうのでした。

 

 

 

肩の荷を落とし、刃を収める

 

 

東京から地元に帰省です。

やはり、地元に戻ればなぜかリラックスモードになりますよね。

それは実家で親元でどこか守られている感じ。

戦わなくていいんだという安心感。

 

そして孤独ではないこと。

 

一人でいることは誰にも攻撃されないし、自分の道を決めて何も制限されずに自由気ままに行動することができる一方で

 

いつも心の奥底には孤独感があります。

 

その孤独感は自分を強くもするし、弱くもする諸刃の剣なのです。

 

そしてその剣を鞘に収めるとき。

 

それが実家に帰省して親の加護を受けとることに等しい。

 

また、誰かといることでその喜びを知ることを再確認することができるし、独りでいる喜びを再確認できたりもする。

 

このことから、ずっと孤独でいることはおすすめできないしれない。

 

 

 

 

親に気を遣うということ

 

そして久しぶりに家に踏み入り、やっぱりどこかよそよそしくなってしまう。

 

そこはずっと一人でいる我が城で好き勝手できるわけではないのだ。

 

実家とは帰れる場所である一方、家族の家。

 

同じテリトリーを共有している。

 

例えば、マヨネーズを使うにしろ、お茶を飲むにしろやっぱり勝手にバンバン冷蔵庫を開けるのは親とはいえ躊躇する。

なので「マヨネーズ使っていい?」などと聞いてしまう。

 

これが自分が子供でずっと家にいる場合はそんなことなど聞かないのかもしれないけど、長年家にいず帰ってくると他人行儀な振る舞いになってしまう自分がいる。

 

そこは親しき仲にも礼儀ありであり、親という一人の大人に対しての気遣い、尊敬である。

 

また、小さい時ではできなかった、挨拶なども行った。

自分から積極的にコミュニケーションをとる。

これも一つの気遣いであり、感謝の念の裏返し。

 

僕たちはもう大人である

 

こんな具合に実家に帰省して今まで我慢していた食べ物を解禁して温かい布団で寝ているブリーフです。

 

僕たちはもう大人です。なので今までの子供であったときに存在していた壁を一つ一つ乗り越えて壊していくことが必要であります。

 

その壁を壊すことでまた違う観点になったり、違う自分に気づけたりするのではないかな。

 

その確認を取ることができる一つが親とのコミュニケーション。

 

 

 

気を使い、感謝の念を裏返して表そう。

 

 

 

 

 

 

正月太り加速中、以上ブリーフでした( ˊ̱˂˃ˋ̱ )