ナンパと哲学

ナンパ師を経て、色々考えながら僕はやりたいことを見つけた。

いますぐ筋トレをやめろ

突然だが、僕は筋トレをやめた。

やめた理由を結論から言うと、筋肉の存在に思考を奪われることに疑問を思ったからである。

まず、なぜ僕が筋トレを始めたのかというと、YouTubezyzzという海外のボディビルダーを見てからだ。

それまでガリガリでもやしみたいな顔に生気がなかった自分にはzyzzの自信に満ちた顔、バキバキの身体、自信のある僕を奮い立たせた。

次の日、エニタイムに入会した。

それから、コンビニでバイトしながら週6で筋トレ、YouTubeなどで筋トレの勉強。
食事管理を突き詰めた。その時は筋肉のことしか考えてなかった。
「とにかくデカくなりたい」その一心だった。


そうこうやってるうちに、自分の中にある変化が訪れた。



そう、自信だ。

筋肉がついて、身体がデカくなる。筋トレ後の満足感。充実感。それに伴う自信。

男性ホルモンであるテストステロンがドバドバでる。

特に重いバーベル担いでスクワットした日には、サイヤ人になった感覚だ。

自信がついて、女性に対しても億劫になることがなくなり、ナンパも始めた。

メリットだらけだった。なぜ今までやらなかったんだとさえ思った。


そんな長年やってきた筋トレを僕はやめた。


変わらず週6で筋トレをやっていたがある時、疑問に感じた。

毎日筋肉のことを気にしていること。

筋トレをやる時間を作らなければいけないこと。

筋トレをやれなかった日は、どこか心残りになる。

筋トレだけで、まにもしていなくても充実感で一杯になること。


毎日、時間ごとにタンパク質を取らなければいけない焦燥感。食事管理の徹底。

明日のジムは何時にいこうか、そのために何時に起きるか、時間の調整。

今日、筋トレ行けなかった。。筋肉が小さくなる。。

今日筋トレしかしてないけど、トレーニング追い込めたから満足。

など、筋肉中心の思考になっていた。

これは未来の自分はどうなってるのか、ある時考えた結果、身体がデカくなってる自分しかいないのではないか、と思った。

筋トレをして、でるテストステロンのおかげで自信がつき、なにか新しいことにチャレンジ出来たりはする。

しかし、それは筋トレによって出来たもので、本質的なものではないのではないか。

筋トレをやめたらその作られた自信が崩れて行く気がした。

事実、筋トレをやめて、その作られた自信がなくなっていった。

エネルギーはたしかに前に比べて低くなった。

しかし、その分人生というものについての焦りを僕は気づけた。

将来に対する不安。現状に対する疑問など。筋トレで誤魔化していたものがどんどんうちから湧き出てきた。




筋トレをすると悩みや不安がテストステロンによって実際消える。

ある種ドラッグやアルコールなどと一緒なんではないかと大袈裟に行ってみる。


現在不安や焦りからでるやらなければいけない使命感を全力でやってみようと思っている。

また筋トレの分の思考力、時間をそこに全振りしてみる。

筋トレを否定はしない。新しい自分になれるし、自信もつく。

ただ本質的なのは筋トレによっては作られない。もっと自分の奥のさらにまた奥のほうに存在している。


その湧き出てくる使命感はDNAなのか、精神的なものなのかは分からない。