ナンパと哲学

ナンパ師を経て、色々考えながら僕はやりたいことを見つけた。

長期のオナ禁は不幸な人間になるかもしれない

繊細さは不幸と隣り合わせ。どうもブリーフです。

 

皆さんは自分自身を繊細だと思いますか?

 

僕はどちらかというと繊細な人間なのかと思います。

 

 

オナ禁する前

 

僕は今現在、オナ禁を始めてから約半年が経とうとしています。

 

開始する前は、あまり病むということがあまりなく何かに対しての欲も本能のままに動いていていました。

それは性欲だったり、食欲だったりただ欲求の赴くままにそれを満たそうとする行動をとっていました。

例えばナンパもそうです。ナンパも原動力は制欲が一番強いです。それから自己啓発だったり色々な理由があります。

制欲があれば、異性に対してのアプローチを常に意識するようになり身なりにも気を使ったり、街中を歩いていても綺麗な女性や、セクシーな女性を無意識のうちに目で追ったりします。なんか逆に見ないと損というか。。

 

食欲も、割と何も考えずにただ美味いものが食えれば良いかなという感じ。ジャンクフードが好きなので、それをメインで食べたりしていました。

 

また、オナ禁して数週間の間は性欲もまだまだあり、それを蓄積している感覚。

なので始めて数日感の間は制欲がとても強くそれに伴いエネルギッシュになるため行動力が上がるし、これと併用して筋トレも捗ったりしました。

この数日感の影響でナンパをやりたくなったりするかな。

 

しかし脳内はまだ半分オナ猿の時のままなので常にエロいことが頭の中にある。

異性のことが頭から離れないのだ。そのためおしゃれになったりするし、オスとしてのアプローチの行動をとったりする。

第一の目標が女性になる。

これが良いか悪いかはわからないけど、オナ猿よりかはずいぶんと良いと思う。

 

 

 

長期オナ禁

 

そして長期オナ禁後を体験していて思うことは、前よりか繊細になったなと感じる。

それはずっと常に人生に対して焦りに似たものがあり、今の自分にどこか納得がいかない。

なので毎日何かしら勉強などをして少しでも自分を磨こうとしたくなる。

 

それは言い換えると、現状の自分を認めてあげられてないかもしれない。

オナ禁開始直後のあの根拠のない自信でいる自分とは違うところにいる。

 

不安感が常にあると言ったらわかりやすいかな。

心に不安感がある。

 

なので自分が進みたい道とは違う行動をしているとどこか焦り、焦燥感が出てくるし、時間がとても少なく短く感じる。

言い換えると時間を前よりかもっと大切に使わなければいけない思いがある。

しかしずっとそういった意識高い行動を取ることは難しい。

 

もちろん消費行動も取りたくなるので、娯楽を楽しもうとすると、その罪悪感との板挟みになって心の奥底で楽しんではいない。

 

バラエティを見ててみ自分にあまり関係のないものだったり良い刺激がないと興味がとても薄れる。

 

些細なことに対して喜びや感動がな前より薄れてきてしまった。

 

そして何より異性に対しての全てのことが今自分には必要のないことだ。と割り切ってしまっている。

そして街中で若い綺麗な女性が歩いていてもそれを見てしまうことに対して何か罪悪感に似たものが出てきてしまう。

 

異性にアプローチしてから発展するまでの時間がどこかもったいないなという感じ。

 

それよりもっと大事なものがあるのだからそっちに時間やエネルギーを費やすべきだという考えが出来てしまった。

 

それは側から見ると完全に不幸である。

 

本来感じれることである些細なことにもあまり反応しなくなってしまうからである。

人付き合いも街中に溢れる娯楽も何も考えずに楽しむと言うことができないのは不幸である。

 

それよりも何も考えずにただ目の前のことだけに集中して人付き合いや娯楽も楽しむことができる快楽主義の方がもしかすると良いかもしれない。

 

僕はオナ禁に対してなにか信頼感を持っていたけど実際は根拠のない自信より焦り、焦燥感、不幸感を感じることが多くなってしまった。

 

なので長期のオナ禁はデメリットの方がもしかすると大きいかもしれない。。

 

 

 

以上ブリーフでした( ˊ̱˂˃ˋ̱ )

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親と一緒にいるとふにゃっとする

子供に退化。どうもブリーフです。

 

皆さんは、親と一緒に暮らしていますか?それとも一人暮らしですか?

 

僕は今一人暮らしです。

 

孤独は人を強くする

 

僕は大学生の時から一人暮らしを始めました。

もう一人暮らし歴としては長いですね。

 

そして周りには友達という友達は居ないため、どちらかというと孤独に近い生活です。

孤独を長いこと経験して、僕は成長できたなと思います。

それは、一人でいることによって自分と対話する時間や考え事をする時間が増えることによって何かしら気づくことや、使命感に気づくことができるからなのかなと思います。

 

年月が経つにつれて、僕は自分自身が少しづつ成長していくのがわかります。

実際、高校生の時や大学生の時なんて、何も考えずただただ楽観的に過ごしていました。

しかし、だんだん孤独になり、大人になるにつれて色々な考えを持ち、今ではほぼ固い思いを持つに至ります。

それは、ちょっとやそっとで変わったりすることはないでしょう。

なので早く、この自分では譲れないような何か固い思いを持てるよう、孤独を早いこと経験するのも悪くないのかなと思います。

 

また、本を読む習慣があったのも大きいなと思います。元々あまり信念というものがなかったのですが、本によって色々刺激を受けた部分もあり、価値観も大きく変えられることもありました。

あくまで自分の軸がぶれない程度に本を吸収するのも良いかと思います。

 

 

親といるとふにゃっとする

 

またずっと、実家にいた子供の時はほぼ何も考えないですよね。自分は子供なんだという無意識の自覚があるし、あまり能動的に動くことはない。

また、親との会話がそこにはあるし、価値観も子供の時のままでいます。

 

何かあったら親に相談したり、自分で積極的に考える機会は少ないのかなと。

なんというかやっぱり守られてるんですよね。精神的にも身体的にも。

その安全性がやっぱり心地よく感じる時がある。

 

そして長い孤独を経験して何か社会に対する牙や、固い思いが自分の中に出来たとき、実家に久しぶりに帰省しました。

それまでは、固い思いがまだなく、不安定な軸だった時はなかなか家に帰りたいとは思わなかったですけど、それが出来てからは一周回ってまた子供の時の自分の壁を崩せるのか、など少し違う変化を試し、それを実感できるのではと思いました。

 

そして親元にいる今、何か牙みたいなものの尖り具合が少し丸くなったように感じます。

何か一人でいる時よりもふにゃっとした自分がそこにはいます。

子供に戻っていくような、何か能動的にやらなくてはという焦りも小さくなっています。

 

なのでやっぱり一人暮らしというのは何か物事をやるのには必須なのかなとも思います。

自分で時間を管理して、自分で飯をとってくる。それは自分の中に軸を作り、自分で道を切り開いていくきっかけになるのかな。

 

 

こんな感じに実家と一人暮らしの時の自分の心境の変化に気づいたブリーフでした( ˊ̱˂˃ˋ̱ )

P,S 実家にいるときくらいはだらっとしても良いのかな。。。

 

 

 

 

服は必要か?

おしゃれは娯楽。どうもブリーフです。

 

皆さんは毎月洋服を買いますか?

 

僕は、もう新しい服を買うことは極力避けています。

 

 

 

 

服は時間

 

 

 

 

服を買うのにもちろんお金かかりますよね。

新しい服、トレンドの服、などやっぱりウィンドウショッピングをしていると欲しい物がたくさんありますよね。

 

またSNSやTVなどを見ていても好きなモデルさんが着ていた洋服など購買意欲がそそられます。

 

また街中を歩いていても素敵なファッションをした男女がいてそれを見てさらに置いていかれないようにファッションというものを勉強して最新の服を購入する。

 

そんな服を購入するのに、お金は減ります。

お金は時間ですよね。

 

また、来年、再来年になってもその洋服は着ていますでしょうか。

また、その洋服を着るのと、今まで持っていた洋服を着るのとではどんな差がありますか。

 

過去に購入した服、それを着ても間に合うのではないか。

 

服は時間ということ、物は時間ということ。

本当に必要かどうか、僕は考えて考えてそれでも必要だったら購入するようにしています。

 

 

 

 

慣れ親しんだ服

 

 

 

今まで慣れ親しんだ服ありますよね。

 

また毎日着るジャケットやスエット、選ぶ手間もなく同じルーティンの一環としてそれを着ている。

 

そこにはへんな刺激がなくて、落ち着きがあります。

 

いつもと変わらないスタンスでいることができます。

 

一方で新しい服を言うのは着ると、刺激があります。

それは他の人から見られた自分がそこにはあり、見られている意識からくるものです。

 

すると、見られていていつもより少し良いストレスがかかります。

テンションが上がるんですね。

 

新しい服というのが娯楽であり、着るといつもと違う感じにしてくれる。

 

気分が変わる。

 

良いと思います。

しかし、僕は見られている、他人の目を気にするというのをなるべく気にしないようにしています。

 

それよりも自分の中身や満足度、その他のもっと大事なものの方に意識を向けるように意識しています。

 

もちろん、臭い匂いや、ぼろぼろの服など公衆衛生など最低限の身だしなみはしないと自分にも悪影響だし、やっています。

 

けど、今まで持っていた服でも十分通用するし、一番大事なのはメンタルの方であってメンタルが良いとどんな服をきていても別に良いんですね。

 

なので他人の目からくる、見栄の部分で欲しいものは買わない。僕はそうしています。

 

本当に欲しいもの、それを買うとすごく気分が良くなる。そういうものは買っても良いかなと思います。

 

今のとこ街中を見渡してもそこまで欲しいものはありません。

 

それは見栄からくるものか。

 

 

 

以上ブリーフでした( ˊ̱˂˃ˋ̱ )

 

 

食欲の暴走、そして正月太り

減量解禁。どうもブリーフです。

 

皆さんは、お正月はたくさん食べますか?

 

僕は減量明けというのもあって好きなものを好きなだけ食べることを自分に許しています。

 

 

 

自由な食生活

 

 

長い四ヶ月ものダイエット生活から一変、好きなものを好きなだけ食べるんです。

 

今までスーパーやコンビニに行っても我慢していた菓子パンやお菓子などを欲しい時に買って食べることができる。

 

幸せですね。

 

それは、言い換えると贅沢とも言えます。

 

別に食べなくてもいいんです。お金もかかるし、食べることで内臓も疲労が溜まるしで食べまくることはいいことでは決してありません。

 

しかし、食べる。

 

 

 

 

自分に甘える時間

 

 

 

休息は人には必要なこととよく聞きます。

 

ずっと頑張っていると、どこかでガス欠する。

 

ストイックなことはとてもいいですが、メリハリがあることでさらにいい方向に向かうのかな。

 

ライオン理論とか誰か言ってたけな。

狩るときは狩に集中して休むときは休む。

 

メリハリですね。

 

なので、そんなことを言いつつ、自分に甘えた時間を今はとっています。

 

 

食の快楽に支配されている

 

長いことダイエットをしていると、今まで我慢してきたものが一気に溢れてきます。

 

もう寝ても覚めても食の快楽が離れません。

 

満足するのはお腹いっぱい食べた後の時間だけ。

 

すぐ何か食べたくなります。

 

これで、ぺたんこだったお腹がどこまで醜くなるかはわかりきったことですね。

 

軽くジムやウォーキングには行きますけど、慰め程度です。

 

デブ活まっしぐらのブリーフです( ˊ̱˂˃ˋ̱ )。。。

実家に帰省、そして時が止まった

安全地帯。どうもブリーフです。

 

皆さんは、何か生き急いでいる時は焦りを感じますか?

 

僕は今そんな状態にいます。

 

 

あの時と変わらないまま

 

僕は今実家にいるのですが、もちろん両親というのはあの小さい頃に見たままで少し見た目に関しては老いがあるのかなって感じです。

 

中身はほんとにそのまま。とても落ち着くものですね。

雰囲気がどこかしらやっぱり悲しいかな高齢の雰囲気がどことなく感じるのです。

 

食べるご飯、生活スタイル、話し方、話す内容もあの時のままです。

 

どこかしら自分にもそれが移ってきて、子供の時のような子供の時のような振る舞いにもなったりもします。

 

親をいたわうどころか、逆に子供になって、されてしまうんです。

 

 

安全地帯

 

そして実家という場所。そこはもう戦う必要のない場所。

ご飯も家にいれば出てくるし、綺麗な寝床、風呂場、トイレ、綺麗な床があり、快適に過ごすことができてしまいます。

 

自分で一人暮らしをしているときはやっぱりゴミが溜まってきたな。とか

洗濯はまだ溜まってないからいいや、二日後にしよう。

これ食べるの少し高いな、とか今日は節約と、健康のために夜飯は抜こうなど自由や管理と共にあります。

 

それが、実家では何も考えなくてもいいわけですね。

いわゆる怠惰になっても大丈夫な状態です。

 

常に温かい場所が提供される。

 

それは、まさしく安全地帯です。

 

その安全地帯にいることは人を穏やかに、丸くさせる。

イメージとしては牙が無い状態です。

 

その牙は決して今の戦う僕らは無くしてはいけない。

それがないと夢や幻想を夢や幻想として終わらすことになり、社会全体に対して牙を剥くことができなくなるかもしれない。

 

時が止まった

 

そして、穏やかなその親と共に実家にいる間は生活するのですけど

もちろん基本一人だったときとは違い、親という自分以外の考え方や思い、スタイル全てを受け止めるわけです。

 

そうなると「影響」というものが自分の中に響いてきます。

 

一人でせっせと妄想、思考をして蓄えていた自分の中にあるもの。

 

 

それと、その親の影響との周波数の違いを僕は感じました

 

親はあの頃と変わらず時は止まったまま。

その絵はしっかりとしたモノトーンの絵。

見ていると落ち着きます。

 

そして僕は長年一人でいることにより、自分の中の世界観が非常に妄想じみていてぼやけた絵を描き続けている。

 

その違い。

 

その僕のぼやけた絵は両親に全て見せることはまだできない。

 

その原因は恥ずかしさや、その絵の構成を書き加えられることを心配しているのかもしれない。

 

また実家にいる間は前に進んでいる感じがしなくて、時間も進んでいる感じもしない。

 

毎日が同じ景色、昨日と同じ時間なんじゃないかと思うくらいだ。

 

これは、自分の小学生、中学生、高校生の時を振り返ってみてもわかる。

あの時は毎日が同じ景色、同じ自分だったんだな、と。

 

自我がないというか、ただ流されるままに過ごしていた。

 

それは生きているというより過ごしているという感じ。

 

それが今実家にいる間、同じものを僕は感じています。

 

なので、環境を変えて、孤独になり自分で全て考えることでやっと生きることができるのかなと思います。

孤独から自分を見つめ、どんな性格なのか、どんな考えをするのか、どんなことに使命感を感じるのか。

どう死にたいのか。

自分のことを知ることは一番難しいので、孤独でやっと見つめ直すことができますよね。

 

小さい頃から一人ぼっちだったり、親がいない子供はどこか大人びた考えを持ち成長が早いきがするのもその孤独のせいなのかなと僕は思います。

 

 

 

 

とまあこんな感じに一人暮らしとの違いに違和感を覚えた。以上ブリーフでした( ˊ̱˂˃ˋ̱ )

 

 

 

 

 

 

過酷な減量明け、満腹になって感じること

腹8分目は正しい。どうもブリーフです。

 

皆さんは、食事はどれくらいの量食べますか?

 

僕はダイエットなど何も気にしていない時は、ほぼ満腹状態になるまで食べてしまいます。

食欲のトリガーが解放されているので満腹で苦しいってなって少し後悔というのを繰り返しています。

 

 

 

腹八分目は正しい

 

 

 

今年、8月くらいから12月まで約四ヶ月間ダイエット、減量を行っておりました。

初めは、資質の量を減らすローファットから、後の三ヶ月はケトジェニックダイエットで炭水化物をほぼほぼ抜いていましたね。

 

やはり、炭水化物を抜くと満腹になることがあまりなく資質だけで腹を満たそうとすればなかなかの量を食べないといけないわけですね。

 

ダイエット時は満腹になることがなく、大体が物足りないなって状態で食事を終えることになります。

 

腹八分目行かないくらいでしょうか。

 

ダイエットをしていて毎回思うことが、その際食べた後、まだスッキリしているということです。

食事を終えた後というのは血糖値も上がるし、内臓にも血流がいくしで、体や脳が休息モードに入ります。

 

なので、何か頭を使ったり、頑張りたいことをやろうとするときには不向きな状態が続いてしまいます。

それに加えて、内臓の疲労も蓄積されるので睡眠が長時間になったり、変な時間に寝てしまい睡眠リズムが崩れたりなどもする時がありました。

 

しかし、腹八分目以下のダイエット時期になってからはほぼほぼそのような状態はないです。

食べた後もまだスッキリしてるし、内臓の疲労感もないどころか、食べたものそのものをエネルギーに変換してるんじゃないかというイメージになります。

 

おまけに、食欲を制御して毎回、食べたいものを我慢しているので前頭葉が活性化して何か物事を頑張ることができたり、モチベーションが上がったりします。

これはダイエッターが何か意識高い系に目覚めていくきっかけになってるのではないかと僕は思います。

 

 

 

 

満腹、そして多幸感

 

 

 

そして12月になり、私は長いこの減量を終えることができました。

今まで腹回りの脂肪と共にずっと暮らしていたのが、スッキリとしてうっすらと腹筋が見える状態になるくらいまでになりました。

 

 

イメージの中にいる自分と鏡に映る自分の違いに少し違和感を覚える。

顔まわりもスッキリとして、「あれ、俺イケメンじゃんw」とうつつを抜かしていました。

 

 

減量明けに食べた最初の炭水化物はペヤング焼きそば。

しかし、意外とめちゃ美味しいという感動とかはなく、「あぁこれから食べていいんだ」という安心感の方が強かったかな。

 

 

それから、菓子パン系がやっぱり手にしてしまいますね。

減量中にはそれは宝石に見えてしまいましたから。

 

 

そして満腹になるまで炭水化物を食べた後は、

そのあと襲いくる血糖値の上昇、睡魔、多幸感。

 

 

それらが一気に来ます。

 

 

そこでとる睡眠はとても気持ちがいいもので、クセになります。

また、血糖値の上昇というのも一種のドラッグに似たものなのかと感じます。

とても気持ちが良いのですね。あれ。

 

なので、みんな八分目通り越して食べて満腹になろうとする。

食べ物がそこにあればとりあえず食べてしまおうとする。

 

その後は決まって体がだるく、眠くなります。

またやりたいことやろうとする気力もどっかに行ってしまい、Youtubeをだらだら見たり、Netflixを見たり、消費行動をとるのに向いている状態になります。

 

 

なので何か頑張ろうとする前は食事は取らない空腹状態がベストで、もしも取るのであれば、八分目いかに抑えた方がいい。

 

ストイックに何か物事を進めるときは食事は極力制限したほうが気力もモチベーションも高く保つことができる。

 

あのアーティストのGacktさんは、頑張ろうと決めた日から一切大好きなラーメンたご飯などの炭水化物を取ることをやめたそうです。食という快楽を自ら絶ったのですね。

 

僕も、しばらくこの食の快楽を楽しんだらまた減量生活を始めようと思います。

やっぱり食の快楽を楽しみ過ぎたら人間はダメになるなと思います。

 

普段から食事をするにも八分目にしたり少し制限するくらいが一番美味しく食べることができるし、体のコンディション、メンタルも良い状態になります。

 

 

 

以上ブリーフでした( ˊ̱˂˃ˋ̱ )

 

 

 

年末年始に帰省、親に気を遣うということ

Goto実家。どうもブリーフです。

 

皆さんは、年末年始は実家に帰省されますか?

それとも、一人気ままに年を越されますか?

 

変わっていた姿

 

 

僕は、先日実家に帰省しました。

約五年ぶりの帰省となり、また約四年ほどの親の顔ってわけです。

 

やはり、月日は進んでいますね。

特に50を過ぎてくると老いというのは目に見えてわかってくるものです。

顔のたるみだったり、シワだったり。

はたまた、体がどことなく小さくなっていたり、白髪が馴染んでいたりと。

 

そして喋り方にもどことなくおじいちゃん、おばあちゃん独特な話かたに近づいてきたなという印象。

 

前回会った四年前にはさほど40代の時となんら変わりないなという印象でしたけど、50後半になると一気に増すのか、それとも環境によってそうなるのかはわかりません。

 

それを見て僕はどことなく、哀愁だったり切なさを感じてしまうのでした。

 

 

 

肩の荷を落とし、刃を収める

 

 

東京から地元に帰省です。

やはり、地元に戻ればなぜかリラックスモードになりますよね。

それは実家で親元でどこか守られている感じ。

戦わなくていいんだという安心感。

 

そして孤独ではないこと。

 

一人でいることは誰にも攻撃されないし、自分の道を決めて何も制限されずに自由気ままに行動することができる一方で

 

いつも心の奥底には孤独感があります。

 

その孤独感は自分を強くもするし、弱くもする諸刃の剣なのです。

 

そしてその剣を鞘に収めるとき。

 

それが実家に帰省して親の加護を受けとることに等しい。

 

また、誰かといることでその喜びを知ることを再確認することができるし、独りでいる喜びを再確認できたりもする。

 

このことから、ずっと孤独でいることはおすすめできないしれない。

 

 

 

 

親に気を遣うということ

 

そして久しぶりに家に踏み入り、やっぱりどこかよそよそしくなってしまう。

 

そこはずっと一人でいる我が城で好き勝手できるわけではないのだ。

 

実家とは帰れる場所である一方、家族の家。

 

同じテリトリーを共有している。

 

例えば、マヨネーズを使うにしろ、お茶を飲むにしろやっぱり勝手にバンバン冷蔵庫を開けるのは親とはいえ躊躇する。

なので「マヨネーズ使っていい?」などと聞いてしまう。

 

これが自分が子供でずっと家にいる場合はそんなことなど聞かないのかもしれないけど、長年家にいず帰ってくると他人行儀な振る舞いになってしまう自分がいる。

 

そこは親しき仲にも礼儀ありであり、親という一人の大人に対しての気遣い、尊敬である。

 

また、小さい時ではできなかった、挨拶なども行った。

自分から積極的にコミュニケーションをとる。

これも一つの気遣いであり、感謝の念の裏返し。

 

僕たちはもう大人である

 

こんな具合に実家に帰省して今まで我慢していた食べ物を解禁して温かい布団で寝ているブリーフです。

 

僕たちはもう大人です。なので今までの子供であったときに存在していた壁を一つ一つ乗り越えて壊していくことが必要であります。

 

その壁を壊すことでまた違う観点になったり、違う自分に気づけたりするのではないかな。

 

その確認を取ることができる一つが親とのコミュニケーション。

 

 

 

気を使い、感謝の念を裏返して表そう。

 

 

 

 

 

 

正月太り加速中、以上ブリーフでした( ˊ̱˂˃ˋ̱ )