ナンパと哲学

ナンパ師を経て、色々考えながら僕はやりたいことを見つけた。

竹内結子さんの自殺の報道を見て。芸能人の自殺について

自殺は社会。どうもブリーフです。

 

今朝、起きてスマートフォンを覗く。するとネットニュースにポツリと一つのニュースが見えた。

 

竹内結子さんの自殺のニュースだった。

 

ここ最近芸能人の自殺のニュースが立て続き起こっている。

 

韓国の芸能界でもとても多い。

 

有名であればあるほど影響力は大きい。ファンの方だったらすごいショックだろう。

 

自分の心の中に小さな小さな何か鋭利なもので突かれた感じがした。

痛みではない嫌な違和感だ。

 

他人事のようで他人事ではない。

 

近くの親戚の感じに近い。

 

なぜ?一体なぜ?と疑問が頭を駆け巡る。

 

特別に自分はファンという訳ではなかったが、ドラマなどで小さいころからテレビで目にしていた。

 

なのにどこかショックだった。

 

まるで身内事のようにネットで検索する。

 

死因は何か、原因は、問題は。最近の動向は。

これはただの好奇心なのかもしれない。自分の中の浅はかな感情。

 

けど知りたい。知りたい。

 

そしてそこで一瞬昂った、悲しみの感情は自分の心の奥底にひっそりと隠れて黒く小さく片隅にホコリとなった。

そして、自分の部屋から外に出かける頃にはすっぽり無くなっていた。

 

そしてまたスマホのネットニュース、ユーチューブなどでいやでも目に飛び込んでくる度にその小さな黒いほこりのような感情が思い出される。

 

ネットの誹謗中傷、芸能界の仕事の激務。など様々な理由で芸能人という華やかな人たちが自ら命を断つ。

 

それはどこか歪な美しさが纏っている。

 

人知れず命を絶つ訳にはいかず必ずメディアを通して知ることになる。

その時、その人の究極の心の弱みを見ているようで見ることができない。

命を絶ってしまうほどのその時の感情を当事者以外知ることができないし、想像しても想像しきれない。

 

一種の謎だからなのかも知れない。

 

 

それは必ず悲しさ、哀しみ、絶望、無気力。決して明るくはない感情だと分かる。

 

当事者と自分を重ねてみる。

 

そして時間と共に忘れ、ふとした瞬間にフワッとフラッシュバックする。

 

何も自分にとって関係がないはずなのにその人の顔、職業、人なりを知っているだけなのにフラッシュバックしてしまう。

 

 

 

「僕は昔、地下鉄の電車のホームにいた際同じホームで飛び降りた少女と一瞬すれ違ったことがある。

その後ホームにカバンを置いて急行の通過電車の光の中に飛び込んだ。

 

その時のカバンについていたサンリオのキャラクターのぬいぐるみ。駅員さんの慌てた様子、電車のブレーキの音などふとした瞬間にフラッシュバックしてしまう。」

 

 

 

それほど芸能人の自殺のニュースというのは多くの人に衝撃を与え、悲しみの感情にさせてしまう。

 

そして自分と重ね、自殺なんて自分はしない。という強い感情と自殺か。。というような弱い感情が入り混ざる。

 

熱狂的なファンだったら後追い自殺なんてこともある。

 

 

これを踏まえてこういう悲しみのニュースが流れてきて自分自身の感情が揺れ動いたときは

改めて人が死ぬというのを見つめ直してみる。

 

 

こんなに華やかな世界で成功している人でも身内や友達でもわからないような悩みを抱えている。

 

生きていると嫌でも色々な壁や悩みが出てくる。それが本人にとって耐えきれないほどのものだったり、生きているだけで辛いというのなら何も考えずに楽になってしまおう。

 

もしかするとそれは当事者にとっては解放という名の喜びであったかも知れない。

 

何はともあれ深く考えないようにするようにすること。考えてしまうというのは今自分が必死で生きていないかも知れない。

影響力に振り回されない。 

自分自身が一生懸命生きる。